テクノスマイルが支えるバイクレーサー兄弟 長尾健吾・長尾健史インタビュー
レーサーとして、技術者として、マネージャーとしての挑戦の軌跡
2025.09.19
弊社がスポンサー支援をおこなうバイクレーサー、長尾健吾選手・健史選手。幼い頃からレースに打ち込み、現在はレーサーとしてだけではなく、チーム運営者、チームマネージャー、個人事業主、バイクメーカー勤務のエンジニアなど、それぞれがさまざまな顔を持っています。
本特集では、兄弟の歩みや、チームワークの大切さ、家族への想い、そして未来を見据えた目標まで、等身大の言葉で語っていただきました。エンジニアを目指す方々へ、挑戦を続けるためのヒントが詰まったインタビューです。
―― まずはお二人のプロフィールについてお伺いします。
兄弟でバイクレースに参戦されていますが、お二人がレースの世界を目指したきっかけは何だったのでしょうか?
長尾健吾選手(以下、健吾): 入口は二人とも同じです。私たちの両親がバイク好きで、父が趣味で草レースに出ていたんです。 幼い頃からそのレースについて行っていて、自然と「自分もバイクに乗ってみたい」と思うようになりました。
長尾健史選手(以下、健史): 実は母も父と一緒にレースをしていたんです。母もライダーだったと聞くと皆さん驚かれますが、それぐらい両親ともバイク好きで。 その影響を受けて育ちましたね。最初、私は兄とは違い「乗らない」と言っていたらしいのですが、気づいたら同じ道に進んでいました(笑)。
―― 初めてレースに出たのは何歳の時でしたか?
健吾: 私は6歳になる誕生日に初めてキッズレースに出ました。父の親戚が営むバイクショップからマシンを借りて出場したのですが、結果は7位でめちゃくちゃ悔しくて…。「勝つまでやる!」と子どもながらに宣言したそうです。
健史: 私は4歳の時です。当日は大雨で、先輩ライダーと接触して転んでしまいました。でも、泥まみれになりながら母に「まだやめない」と泣きながら訴えたと聞いています。兄弟ともに子どものころから、人一倍負けず嫌いでしたね(笑)。
――学生生活とレース活動の両立で苦労したことはありますか?
健吾: 小・中・高までは要領良く成績も保てて、週末はレース、テスト前だけは集中して勉強する生活で乗り切りました。なので、あまり苦労した記憶はなくて…
健史: いや、苦労してたでしょ(笑)。色々あったでしょ?
健吾:それで言うと、大学で全日本ロードレース選手権への参戦を始めた1~2年生の頃は必修科目が多く、「このままだと単位が危ない」と思い、レースを辞めようかと思ったことはありました。でも教授に相談しながら、何とか4年で卒業できました。
健史: 私も勉強との両立は大変でした。でも「楽しく苦労した」という感覚ですね。「勉強しなかったらバイクには乗せない」というのが母の方針で、走行の合間や移動中でも教科書を開いて勉強していました。高専から専攻科を経て学士を取り、大学院まで進学しました。
―― 卒業後は、どんな進路を選びましたか?
健吾: 大学4年の夏、鈴鹿8時間耐久ロードレース(鈴鹿8耐)に出場した際、チームのメインスポンサーだった企業の方から「うちに入社して働きながらレースを続けないか」と声をかけていただいたんです。その会社に新卒・正社員として入社し、仕事と並行してレース活動を続けました。入社から約3年後、これまでと同じ環境で活動することが難しくなり転職。そして2024年から会社勤めを離れて独立し、現在は「けんけんサーキットサービス」を立ち上げ、インストラクター業務などを担っています。そして、家族チームである「TEAMKENKEN Ytch」のチーム運営をしながら、メインレーサーとして全日本ロードレース選手権に参戦しています。
健史: 私は大手オートバイメーカーに就職し、市販車の各種性能テストをおこなうエンジニアをしています。具体的な業務としては、オートバイの熱や空力、防水性能などのテスト業務なのですが、これまでのレース経験が仕事にも生きているなと感じます。マシンを「こう変えればこうなる」という検証のプロセスや、オートバイの構造に関する知識があることで、新しいテストにもスムーズに対応できる場面は多いですね。現在はこうした仕事をしながらも、「TEAMKENKEN Ytch」のチームマネージャー、レーサーも務めています。
技術や腕だけでは勝てない。チームワークが導く勝利の軌跡
―― さまざまな仕事、そしてレースでも「チームワーク」が重要であることは共通していると思います。チームワークの大切さを感じたことはありますか?
健吾: 私は昔、レースに集中するあまり周囲とのコミュニケーションが足りていなかった時期がありました。レースファンの方からも弟のほうが好かれていましたね。周囲のアドバイスを聞かないわけではないのですが、チームスタッフの方が「話しかけにくい」と感じてしまい、弟にマネージャーのような役割を担わせてしまったこともありました。
健史: 「健史、ちょっと兄貴にこれ伝えてきて」と、仲介役になることは一時期多かったですね。私自身、そうした役割を担うことは苦ではなかったんです。私は兄のように華麗な走りはできませんが、人と人の間に立ってつなぐことは得意だったので、足りない部分は補い合えばいいと思っていました。ただ、レースといえどチームスポーツで、最後はドライバーがコース上で頑張るわけですが、そこまでの準備はチームワークが不可欠です。一人浮いた存在がいると、なかなか結果が伴わないということも感じていました。
健吾:「このままではいけない」とある時から気づいて、ファン対応も含めて、コミュニケーションは柔らかく丁寧に接することを心がけてきました。周囲ともっと積極的に関わっていくことがスタッフの意見を引き出すきっかけになり、レース結果にもつながるのだと考えるようになりました。昨年2024年は全日本ロードレース選手権のST600シリーズランキングで年間2位という結果を残すことができ、今年は「もう全戦優勝を目指そう」という意気込みで臨みました。ですが開幕戦では3位、6位と思うような結果が出せず、チーム全員が落ち込みました。ただ同時に「次はこうしよう」という前向きな意見が次々と出てきました。きっと私が昔のままの自分だったらこうした意見は出てこなかったと思います。みんなが同じ目標を真の意味で共有できていたからこそ、率直な意見交換ができたと思っています。
―― 健史さんは、現在チームマネージャーを務めていらっしゃるとのことですが、マネジメント面で意識されていることはありますか?
健史:チームをまとめるうえで一番大切にしているのは、「全員が同じ方向を向くこと」です。レースウィークが始まる前には必ず、「今回は何のためにこの場所に来たのか」をメンバー全員で言葉にしてすり合わせるようにしています。目的意識がチームのベースになると思っているので、共有は徹底するようにしています。
―― ここまでお話を伺って、お二人の仲の良さを感じました。とはいえ、兄弟で活動されていると、喧嘩になることもあったのでは?
健吾: ご期待に添えず申し訳ないのですが(笑)、実はあまり喧嘩の記憶がないんです。
健史: そうですね…。口論や殴り合ったみたいなことは一度もなかったですね。
健吾: 私が買ってきた漫画を勝手に先に読まれて、「おい!」とは思うけど、喧嘩になるほどではないです(笑)。
健史: それはやっちゃってますね(笑)。普段はそんなゆるい関係なんですけど、レースのことになるとしっかり向き合って話せる。映画『トイ・ストーリー』シリーズの後半の、バズとウッディみたいな、分かり合ったあとの2人のような感覚です。
健吾: 普段の生活ではそこまでベタベタしないけど、一つの目標に向かっているときは自然と協力し合える関係ですね。
テクノスマイルとの出会い

―― テクノスマイルがスポンサーとなった経緯を教えてください。
健吾: はじまりは今年(2025年)のはじめ、副社長の馬見塚さんから突然メールをいただいたことでした。全く面識はなかったので、最初は正直「何で私たちなのだろう?」と思っていました。でも話を聞いていくうちに、実は馬見塚さんご自身もかつてライダーを目指していたことがあって、私たちのYouTube動画を見て「この選手を応援したい」と思ってくださったことを知りました。動画の概要欄に連絡先を載せていてよかったです(笑)。
―― 馬見塚副社長からはどんな言葉がありましたか
健吾: 私のライディングスタイルを見て「これこそ自分が目指したかったフォームだ」と言ってくださいました。しかも、伝説のライダーである加藤大治郎さんと重なる部分があるとまで言っていただいて…本当に驚きましたし、嬉しかったですね。
健史: 私自身も、そこまで私たちの走りを深く見て応援してくださる方は他にいなかったので、すごく印象に残っています。しかもそれがスポンサー支援にまでつながったというのは本当にありがたいですし、今でも心強い支えになっています。
健吾: YouTubeに動画投稿をはじめたのは2016年でした。チャンネル登録者数は現在約1万6000人で、決して大きなチャンネルではありませんが、バイクレース業界でこれだけ初期からコツコツとYouTubeを続けている人はいないはずです。その結果がテクノスマイルさんとの縁につながったのだと思っています。レースも仕事も“継続は力なり”と感じますね。
支えてくれた両親への感謝
―― チームではお父様がメカニックをされているそうですが、どんなお父様ですか?

健吾:父は本当にバイクが好きで、工具にまでこだわる“オタク”です。これまで父が整備したバイクでトラブルによるリタイアをしたことは一度もありません。私たちが転倒してリタイアしたレースはありましたが、マシントラブルで止まったことはありません。バイクへの気遣いは本当にすごいなと思いますし、父の整備のおかげで私たちは安心してレースに臨めています。
健史:私も大人になって、親のすごさが身に染みてわかってきました。自分に子どもができたとして、同じように「やりたいこと全部やらせてあげられるか」と考えると…ちょっと自信がないです。両親は自分たちのバイクも手放して、私たちのレース活動に全てを注いでくれました。だからこそ、僕たちは本気で頑張りたいし、感謝の気持ちはずっと持ち続けています。
健吾:間違いなく、今の自分たちがあるのは両親のおかげです。私たちの「バイクに乗りたい」という気持ちを、ずっと応援し続けてくれて。レース活動を続けるには、お金だけでなく、時間も多く必要ですが、嫌な顔一つせず支えてくれました。最近は「もっと感謝しなさいよ」と言われることもありますが(笑)、本当に頭が上がらないですね。
日本一、そして未来への挑戦
―― 今後の目標について教えてください。
健吾:「TEAMKENKEN Ytch」で、日本一になることが最大の目標です。これは口で言うほど簡単なことではありません。実際、全日本ロードレース選手権の各クラスでは、ショップ(販売店)チーム以外がチャンピオンになった例はありません。私たちは、家族と仲間で運営する非ショップチームです。それでもバイクを愛して、努力を惜しまず、自分たちなりの方法で勝利を目指しています。この挑戦をカタチにできたとき、日本一になれたとき、それは私たち兄弟だけでなく家族や仲間、応援してくれる企業の皆さんへの恩返しになると思っています。
健史: 私の立場では、兄が気持ちよく走れるマシンを用意して、日本一というゴールに一緒に向かっていくことが使命です。チームマネージャー、そしてエンジニアとして、どうやったら速く、トラブルなく走れるかを考え続けて、最高の環境を整えていきたいと思っています。個人的な夢としては、もう一度「鈴鹿8耐」に出場したいですね。あのレースは独特の緊張感と熱狂があって、私にとっては特別な舞台です。
未来のエンジニアへのメッセージ
―― 最後に、エンジニア職を目指す学生の皆さんへメッセージをお願いします。
健史: 技術を突き詰めるのはもちろん大切ですが、視野を広く持つこともすごく大事だと感じています。私もレース活動をしている中で、「別の視点から物事を見てみよう」という癖がつきました。違う分野や考え方に触れることで、新しい気づきが生まれる。それは技術に行き詰まった時、特に大きな意味を持ちます。そして、困ったときには一人で抱え込まず、周囲に助けを求めること。意外と自分が悩んでいたことの解決策を、別の誰かがすでに持っているかもしれません。技術は一人で磨くものではなく、周囲との関係性の中で育っていくものだと思っています。
健吾: 私も何かを極めたいという目標に対して、たくさんのアプローチ方法があると思っています。例えばライディングの技術を磨くにしても、フィジカルなのか、マシンセッティングなのか、考え方の転換なのか。選択肢をいくつも持っておくと、壁にぶつかったときに乗り越えるヒントが見えてくるはずです。そのためには、普段から「一つの物事に対して別の角度から見る」トレーニングをすると良いと思います。仕事だけではなく日常生活でも、ちょっと立ち止まって「他の見方はないかな?」と考えてみる。その積み重ねが、いつか大きなひらめきになるかもしれません。学生のうちは、失敗を恐れずたくさん挑戦してほしいですね。

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